ひ と り ご と (山を登って感じたこと)

四苦八苦して山を登っていて、時々感じることがあります。自分が感じたことが果たして他の方にも「同感!」なのかどうか・・自信がありません。でも、何となく気になってしかたないのです。  他愛もない独り言を書きつづってみました。ご意見をお寄せ下されば幸いです。

水を大切に   ツアー登山に疑問   山のトイレ問題   木道について   「こんにちわ」攻撃
登り優先も時による?   道を譲る前に足元も、ちょっと見て   ストックや杖の使い方

水を大切に (2002.8.15)

山に登ると、ほんとうに水は貴重品です。湧き水が豊富な場所はとても少なく、雪渓の解け水を引いている所はまだ良い方で、天水(雨水)をためて消毒して居るところ、離れた水場からボッカで運んでいるところなど色々です。だから入浴はおろか顔を洗ったり歯を磨いたりも遠慮しなくてはならないことが普通です。ときどき都会生活の癖で蛇口を出しっぱなしにして歯をみがいたり、シャツを洗ったりしている人を見かけるとドキドキします。一大決心をして「あのぉー」と話しかけることもあります。とは言っても『山の水は貴重だ』と言うことだけを覚えているとおかしいことになります。
こんな事がありました。もう何年も前ですが白馬岳に登った時でした。あそこは雪渓の水を引いてきてドラム缶みたいな容器にいったんためてそれを小屋の蛇口まで引いていました。運悪く台風がやってきて停滞を余儀なくされた時のことです。ドラム缶(?)から水は渦巻いてあふれかえっていました。そんな時、山に慣れた人達は山小屋でじっくりと顔を洗える、滅多にない楽しさを味わっていました。その時、一人のご婦人が大きな声で「山の水は貴重なのに、そんなことも分からない人がこんなに居る!」と怒りだしました。皆さん呆気にとられ、、吹き出してしまい窓の外のドラム缶を指さして状況の説明をしていました。
原則は原則、でもケースバイケースと言うこともある。大笑いしそうになって私は部屋に逃げ帰りました。

ツァー登山に疑問 (2001.8.24)


至仏に行ったときのこと、J?Bの団体客に遭遇しました。まるで観光客。狭い登山道で立ち止まって「水道料金がどうのこうの・・・」 下りてくる人登りたい人が詰まってしまっても気付かないで井戸端会議。やっと回りに気がついてよけてくれたところは高山植物の花の上! この人何しに来たのでしょう?あるいは登ってくる人の目の前で、いきなりコース変更して横断。彼女のザックは登ってきた人の顔を直撃!! 「旅行社のツァー客には要注意」というのが実感されました。
次に驚いたのは入笠山行ったときのことです。行かれた方はご存知のとおりそんなに大きな山ではありません。そこにSKツーリストの団体客が押し寄せました。30名以上だったら実施するという広告は見ていたのですが・・・・・・なんと観光バス9台!!! 380人以上が押し寄せたのです。しかも休憩は何分までと、ハンドマイクで呼び掛ける係りの人は居てもリーダーらしい人は居ない。従って山の登り方も何も教える人が居ないのでただ漫然と歩くだけ。
当然の事ながら人が多ければ話し声もスゴイ! 団体でない人たちとすれ違っても道を譲ることを知らない。しかもラジオをがんがん鳴らす人、クマよけの鈴をつけている人が多い!
ビックリしましたねー この季節に、この山でそんなにクマが出るのでしょうか? 400人近い人がワイワイ・ガヤガヤ固まって歩いているのにクマが来るのでしょうか?
山に来て世間話をしたり、ラジオを聞いたりしたくはない。風の音、鳥の声、ひっそりと咲く草花・・・その中に身を置いて日常では得られないさわやかさが欲しかった・・・山の空気を楽しみたくて行った私がバカでした。
そんなに難しい山ではない、それでも一人では来られないで団体旅行に参加する。そういう人たちが悪いのか? そうではないと思います! 企画する側が途中のバスの中ででも心構えを伝えるべき、マナーを教えるべきだと思うのです。それすらできない企業がお金儲けのために企画することは罪悪ではないでしょうか? 普通の登山客が迷惑するだけならまだ我慢もします。けれど踏み荒らされる植物達はどうすることもできないのです。企業は責任を持てないことに手を出すべきではないと思います。

山のトイレ問題 (2001.7.29)

今年の夏はトムラウシに行こう! と計画を立ててからずっと悩みました。テント場にトイレが無い場所が2ヶ所あるのです。あちこちのHPを調べてみると北海道の山にはトイレがないテント場の方が多いみたいです。そしてちょっとした木の陰や岩の影に汚物とちり紙が散乱している写真をたくさん見ました。隠れ場所を探す人が踏みつけてしまって高山植物が枯れ、裸地になってしまった所も多い。オーバーユースが大きな問題になっているようです。
今まで行った山は全てトイレがありましたので、この事実を知ったときオロオロしてしまいました。頭では「携帯トイレを持って行くしかない」と分かっています。でも心は「持っていくのは良い、使用するのも良い、でも持ち帰るのがイヤだなー」と叫んでいました。・・・・・・あちこち調べて調べて・・・・・・
結局、私は花が好き、ずっと消えないでいてほしい。鳥が好き、大腸菌の汚染が進んで死んでしまう鳥たちもいる。この問題の方が大きかったのです。ものは考えよう。食べる前は「食べ物」だった、ただ単にそれが何時間かかけて体の中を通過しただけ。食べ物を平気で買ってきたり持ち歩いたりできるのにどうして排泄物だけ嫌がって許されるのだろう?!
そしてまた、私たちは一時的に山に遊びに行かせてもらっているだけだけれど、高山植物や動物たちはそこを生活の場としているのだから・・・自分の心を説き伏せるために2ヶ月近くかかりました。試しに携帯トイレを買ってきて近くの山歩きに持っていきました。チャックつきのビニール袋に入れ、セットになっている厚手のアルミの袋にきちんと入れるとそれほど匂わないことも知りました。こんなことを体が覚えていたのか、とびっくりしたのははじめて使ってみたとき妙に懐かしさを感じたのです。そう、はるか昔に使った「おまる」を思い出したのです。
それでもザックにたくさんの荷物をギュウ詰めにして持っていく訳ですから少し悩みました。小型の茶筒を用意して蓋を布製のガムテープで巻いたものを用意しました。これは大成功でした。
・・・・・・山中3泊のトムラウシに行ってきての感想は、「携帯トイレ」を持っていって良かったでした。悪いことをしているという意識を完全に捨てることができたのです。
いまだにティッシュペーパーを平気で使う人、隠れ場所を探してお花畑を踏みつける人、物陰に残された何人分もの汚物。目を覆うようなことがあるのが現実です。使用後の紙を持ち帰る人の方が少ないのも実状です。
この問題をどうにかできないものでしょうか? 山に登る人たちの自覚が一番大事。それはもちろんですが「携帯トイレ」を持参する事が当たり前になったとしても、隠れ場所が無かったら登山道を外れて出かけたくなるのも人情です。多くの人が訪れる事が分かっている場合、隠れる場所を作ることも必要ではないかな? と思いました。無秩序にあちこちが踏み荒らされるよりは、きれいに使われている「隠れ場所」がある方が山にとってもダメージも少ないのでは無いでしょうか? もちろん隠れるためだけの場所というのがお約束ですが・・・
さぁ、どれだけ人間を信じられるかの問題になってきそうですねー

木道について (2001.5.10)

山を歩いていると木道に出会う事が度々あります。湿原などにある時は植物を踏み荒らさずに、足も埋まることなく歩けるので助かります。
でも湿原以外の登山道に木道ができている時、とても複雑な気持ちになります。土のままの道は長年の間多くの人に踏まれ硬くなり、低くなっています。だから雨の日には川のようになってしまったり、ひどいぬかるみになったりします。少しでも靴を濡らしたくないと思うのは当然の人情なのですがその為に少しずつ脇を歩くようになったり、やや高くなっているところを歩いたりします。そして多くの高山植物達が踏みにじられてしまいます。(極度に疲れてくれば濡れることなどかまう気力も無くなりまっすぐ歩くようになりますが・・・) 植物たちの保護のためにも、人が歩き易いようにもと木道が作られるのでしょう。作って下さる方はとても大変な作業だと思います。
けれど何年かたつと木道はコケが生えたり痛んだりしてきてとても歩きにくくなります。そして木道をさけて更にその脇に踏み跡がついてしまっていることが度々あります。なにか良い方法は無いのでしょうか・・・
結局は山は歩きにくいのが当たり前、と決心して靴が濡れても我慢するのが一番なのだろうと思うのですが、私もついつい少しでも水たまりの少ないところをと探す軟弱者です。

「こんにちわ」攻撃(2000.9.6)

出会う人同志が「こんにちわぁー」と声を掛け合うのはいつからの習慣なのでしょうか? 人気のない山道を歩いていて向こうから知らない人が来る。良い人か悪い人か分からない・・・そういう不安をなくすために「あなたに敵意を持っていませんよ」と表現するためと聞いたことがあります。それはとてもよい習慣だと思います。

でもねー、場合によっては体力が乏しい私にはとってもつらいこともあるのです。こちらは2,3人。あちらは10人以上の団体だったり、運が悪いときは学校の団体などで数クラス分の子ども達の時などです。みなさん「山では知らない人にも挨拶をするものだ」と信じていらっしゃる。

礼儀としてもお返事しなくては。努力するのですが・・・ でもねー、けっこう登山はハードなのです。一連隊が通り過ぎたあとでは声も枯れ、呼吸も苦しく、汗びっしょり・・・そういう経験が何度もあります。

いっそのこと、帽子に「こんにちわ」と大きく書いておいて笑顔ですませようかなー などと本気で考えています。
本当に、苦しいことがあるのです。特にこちらが登りの時にはね(^_^;) グループ登山の場合は、先頭と末尾の人が挨拶をする。中間の人は会釈にするだけではまずいのかなー?

登り優先も時による?(2000.9.6)

車の運転と同じで山道でも上り優先が原則です。登りの方が下りよりは呼吸も楽だし、体力もいらない。見通す距離も大きい。だから狭い山道で登りの人と下りの人が出会ったときは、下りの人が道の端っこによって登って来る人に道を譲る。たしかにこれは理にかなっていると思います。

でもねー、場合によっては体力が乏しい私にはとってもつらいこともあるのです。

こちらは息も絶え絶えで(大げさですかねー???)、坂道の上で待たれていても焦るばかりでどうにも体が動かない。そんなときもあります。大きな息をつきながら、「どうぞ、行って下さい」とお願いしても、「上り優先ですから」と動かない方がいらっしゃる。

たしかに、お気持ちは嬉しいのです。でも、体がダメなのです。下りの方達が通り過ぎるのを待つ間に呼吸を整えがてら一休みしたいときもあるのです。

「どうぞお先に」と、祈るような気持ちで言っているときは、原則を破ってでも休ませていただけるとありがたい・・・(そんなに体力が無いのに、山に行こうとするのが間違い??? そうかも知れませんが弱小中高年のお願いです)

道を譲る前に足元も、ちょっと見て(2000.9.6)

登山道は原則的に狭いですねー。二人が並んで歩けるところは広い方です。ほんの狭い道の両側には植物が生えています。何も見えない土だけのところだって、来年になったら芽を出す何かの種子が息づいているかも知れません。

最近は高山植物が芽を出して花を咲かせるまでに、どんなに大変な環境に耐え時間をかけているかということが知られてきています。だから一昔前みたいにお花畑に踏み居る人や、盗採集する人が減って来ているような気がします。けれど人間の都合と、植物の命をハカリにかける場面になるとどうしても人間が優先してしまっているみたい。

狭い山道で人がすれ違わなくてはならないと、相手の人を思いやり道の端っこに寄ります。でも、その足元に高山植物が花を咲かせていることも多いのです。踏みにじられた花をたくさん見かけます。

でも、これって変ですよね! よく考えると人間は楽しみのために一生の内の何日かを山で過ごしているのに過ぎない。そして植物にとってはそこしか無い生活の場ですもの。

「上り優先問題」と同じような事ですが、せめて今、目に見える植物が無い場所によけられる方の人が立ち止まって道を譲れるようになったらどんなに良いだろう! そう思います。
もちろん見た目には何も生えていない裸地に見えても種子がこぼれているかも知れません。ただ種子は葉や花に較べればもっと丈夫だそうです。せめてちゃんと緑の葉っぱがあって、花を咲かせている植物を踏みにじらないことから始めたいなー。

ストックや杖の使い方(2000.9.6)

杖を使い始めるとき、なんだかとても歳を取ってしまったみたいで抵抗がありました。けれど一回使ってみるととても便利で安心です。特に下り坂では重宝しています。周りを見ると最近杖やストックを使っていらっしゃる方がとても増えて居るようです。中には両手にストックを持ってエッサカホイサと身軽に歩かれる方もいらっしゃいます。
そのとても心強い味方なのですが、やっぱり少し気になることが・・・

ストックのあとが、ロープを張ってあるお花畑の中に付いていたり、道ばたのちょうど真っ盛りに咲いている花がえぐられていたりすることが増えてきています。山登りでは本当に危険で命に関わることもあると思うのですが、私が通る道はすべて一般コース。私が行ける道だから大した危険は無い場所です。だから、どうも花があるということを考えていない方が多い様な気がしてしまうのです。

自分が大けがをしたり、スリップして死にそうな場合以外は、やっぱり周りの生き物を大事にしましょうよー!

 

私の山登り